ラジコン遍歴


〜小学校

1973年前後・・・プラモデルを主に作って遊ぶ。そのうち1/24のリモコンカー”ニッサンローレル”(色は緑)に夢中になる。(思えばこれが、ラジコンに夢中になってしまうきっかけだった。)

1974年前後・・・このころ一時、戦車のリモコンに凝る。イギリス戦車”センチュリオン”。スケールは忘れましたが結構大きかった。周囲ではロンメル、タイガー1、キングタイガー、シャーマン等の戦車がはやっていた時期でした。


中学生時代

1975年前後・・・ぼくのラジコン第一号、京商のピーナッツバギー。09エンジンを搭載し、2チャンネルでバックもできた。今でも画期的だったと思うのは、クランクシャフトの先端にファンがついており、それがエンジンを冷やす役割を持っていたこと。エンジン、送信機(プロポ)は別売だったので、しばらくはエンジンだけしか買えなかった。エンジンはENYAの09?(名前は忘れました。)で当時でも1万円くらいした(中学生のぼくにはかなりきつかった)。2〜3年はプロポ無しでいじって遊んでいたが、グローエンジンをかけるまでが一苦労だった。スターターがあれば簡単だったのかもしれないが、スターターは一万円前後もしたのでとても買えなかった。しかし、どうしてもエンジンがかからなかったので、模型屋さんまでもっていってかけてもらった(スターターで)。その時、中古のサリバンスターターをついに買う決心をした。(4、5千円だったと思う)。高校受験があるというのでしばらく我慢して、入試が終わったその帰り道に待ちに待ったプロポを買った。当時はSANWAとFUTABAぐらいしか発売していなかったと思うが、SANWAのミニプロポが当時のはやりだったのでそれを買った。(14800円なり)


高校生時代

1980年前後・・・”サハリバギー。サリバンスターターを買った模型店で、やはり中古で買う(一万円前後だったと思う)。この頃は石政のラットバギーが結構人気があり、ぼくもほしかったのだが、1/8エンジンバギーはキットが3〜4万円、さらにエンジン、プロポは別売で必要だったので、すべてそろえると6〜7万円もかかった。高校生のぼくにはとても手が出る金額ではなかったのだ。しかしこの”サファリバギー”は中古とはいえ一万円前後で最初からエンジンがついていた。プロポはついていなかったので買わなければならなかった。以前買ったSANWAのミニプロポは小型でよかったが、耐久性がいまいちだったので、FUTABAのプロポを買うことにした。サーボは大きめだったがトルクがあり、なかなか良かった。以後このFUTABAのプロポはしばらくの間ぼくのラジコンに移植されることになる。サファリバギーは1/8スケールで、ピーナッツバギーよりボディーもエンジンも一回り大きかった。エンジンはENYA21BBTVでクランクシャフトにベアリングついていた(いまでは珍しくないが)。サリバンスターターを持っていたので比較的簡単にエンジンがかかった。問題はクラッチで、今の多くのエンジン模型同様遠心クラッチだったが、クラッチ板の材質が悪かったのか、つながりがいまいちで21エンジンなのにスピードはかなり遅かったたと思う。まー当時はエンジンバギーを走らせれるというだけで結構楽しかった。

1981年前後・・・"オオタキ ファイヤーバードTrans-Am"を作る。これはプラモデルメーカーのオオタキが初めて発売したラジコンカーで、当時の1/12スケールのプラモをそのままラジコン用に改造したようなつくりだった。ボディはプラモデルそのままで、シャーシはジュラルミン製、モーターはマブチ540だったと思う。バッテリーも今のようにニッカドでなく単2電池を4本直列につないで走らせた。したがって1回の走行時間はせいぜい30分程度でスピードも遅い。おまけに使えなくなった電池が山のようにたまってくる。リアにはギアが露出するタイプのデフギアがついていた。タミヤも初期のころはこの露出タイプのデフギアだったが、そのうち密閉式のデフギアとなる。(密閉式にすることでグリスやオイルを入れて耐久性をあげることができる)。とにかくこれは”プラモが操縦できる!”といったレベルのラジコンであった。例によってプロポは買えなかったので、サハリバギーのプロポを移植した。このころ、オオタキはファイヤーバードの他にポルシェ、ベンツ、BMW、コルベットも1/12スケールで発売していた。当時はプラモメーカーがラジコンを手がけ始めた時代で、今をときめく田宮模型がポルシェ911を発表したのもこの時期だった。その他、ニチモなんかもBMWやサバンナRX-7などのラジコンを出していた。
"ニチモのBMW"は、購入したがしばらく作らずにボディーだけ作った記憶だけがあり、シャーシは作らないまま行方不明になったままである。このキットは、スプレーの塗料がキットの中に最初から入っていて、このボディーにはこの色で決り!、というような方針のキットであった。ちなみにBMWに入っていたのは白だった。
しばらくして田宮からニッカドバッテリーがでた。最初は6Vタイプだったが、その後ハイパワーの7.2Vタイプがでた。いわゆるラクダ型のニッカドバッテリーである。なぜラクダ型になったかというと(ぼくの想像だが)当時はプラモデルをそのままラジコン化したのでナロートレッド、ワイドホイルベースだった。しかも1/12が主流で1.2Vニッカドをよこに6本並べることはスペース的に無理があったのだと思う(その後1/10スケールが主流になりスペース的に6本並べれるようになり、このラクダ型バッテリーは姿を消すこととなる)。当然ぼくはこのラクダ型に手を出した。すごかった。とにかく速い。加速がすごい。今はニッカドがあたりまえになっいるが、乾電池からのりかえたものにとっては驚きの速さだった。ここで問題が起こった。早くなった分シャーシのあちこちが強度不足になった。フロントアップライトは、クラッシュするとすぐ吹き飛んでしまい、ジュラルミンのシャーシはすぐ曲がってしまう。タイヤは中空ラバータイヤでぴょんぴょん跳ねる(当時はもちろんオイルダンパーというようなものはなかった。シャーシのしなりとタイヤでショックを吸収する方式だ)。当時は田宮がオプションパーツをいっぱい出していた(今でもいっぱい出しているが)のでシャーシは主にタミヤのパーツで自作した。ファイヤーバードのボディーは現在の多くのラジコンが採用しているポリカーボネート製でなく、当然といえばそうなのだがプラスチック製である。したがってクラッシュには一番弱かったが、スケール重視のぼくとしては取り替える気にならず、裏からパテでガンガンに固めた。かなり重くなってしまったがそれでいいのだ。またこの"Trans-Am"は、初めてレースに出場した記念すべき車である。今は新しく立て替えられた岐阜市民センターでの大会がデビュー戦だった。結果は途中リタイア。どこが主催していたのか忘れたが、参加費無料で御弁当がでたのでうれしかったという記憶が残っている。それからしばらくして田宮が主催するレースが、岐阜パルコの駐車場(今はパーキングビルが建っている。)で開催された。エントリーが一番だったので選手宣誓をした。何と、それが岐阜放送のニュースで放送されたのだ。レースの結果はクラッシュでまたも途中リタイア・・・。


大学生時代

1982年前後・・・幼いころの僕のラジコンの記憶は、”高くて手が出ない”というのが強く印象に残っている。このころは大学にも入学し、アルバイトなどもけっこうできて、まとまったお金が入るようになる。したがって高根の花だったラジコンも比較的楽に手に入るようになる。そこでまず最初に買ったのがバギーチャンプであった。この頃は田宮も京商も一時的にではあったが、完全防水ラジコンに力を入れていて”バギーチャンプ”も完全防水をうたっていた。フロントのアップライト、リアギアボックス等はすべてジュラルミン製で、密封されたメカボックスからでるリンケージピアノ線、コード類はすべてゴム管が巻かれ、完璧な防水対策がされていた。今もそうだが僕はオンロードよりもぬかるみとか、道のない道を走るといったオフロード走行にあこがれをもっていて、ラジコンは、もっとも手軽にオフロード走行が楽しめる手段だった。ラジコンでオフロード走行を楽む時のネックは、ほこりと水である。その両者から解放されるのが完全防水ラジコン”バギーチャンプ”であった。しかし実際走らせてみてわかったが、残念ながら防水は完全ではなく、モーターも密封されていたために放熱効果に問題があって、長時間の走行は難しかった。これらのことが原因だったのか、完全防水ラジコンは”バギーチャンプ”一台で終わった。その後しばらくはメカボックスの防塵に”バギーチャンプ”の技術が引き継がれ”FOX””HOT SHOT”などが登場することになる。最近ではスピードとメンテナンス性を重視するためか、このような防塵機構をもったモデルは少なくなった。個人的な意見であるが、メンテナンス性重視でメカなどが露出しているモデルよりは、最近のTGX/TG10のように、少なくともメカボックスだけは密封されたタイプが好きだ。

1982年前後・・・”メルセデスベンツSLC。これはオオタキのプラモだが、ファイヤーバードTrans-Am(のプラモデル版)と同じシリーズで発売されていたものだ。Trans-Amと同じようにボディーはそのままで、シャーシだけを田宮のパーツを流用して作った。ホイルベースは比較的簡単にボディーとあわせることができたが、問題はトレッドだった。フロントはアップライトの位置を変えるだけでよかったが、リアはシャフトをカットするわけにはゆかず、あわせるのに苦労した。スケールプラモのせいか実際走らせてみるとロングホイルベース、ショートトレッドのシャーシは、おもいっきりアンダーステアだった。大学時代、よく走らせていたのは徳島大学のキャンパスである。電動モーターは騒音が少ないので、病院があるキャンパス内でも安心して走らせられた。病院があるといっても、徳島大のキャンパスは結構広いのでほとんど問題なかったと記憶している。でもエンジンモデルはさすがに気が引けたので、吉野川の河川敷を主なコースにしていた。

1983年前後・・・”オペルアスコナ400ラリー。中古で買った。今もそうだがぼくはスケール指向で、当時はワイルドウイリスやシティーターボのようにおもしろラジコンの人気が高かったが、スケール重視ということで買った。最初に塗った色が白で、気にくわなかったので落とそうとしたが、ポリカ用のカラーはなかなか落ちずかえって変な色になってしまった。

1983年前後・・・FOX”。バギーチャンプに比べて格段の進歩があり、今でも十分通用する設計だと思う。前後はダブルウイシュボーンサス、メカボックスは密閉式、RR、モーターは露出していて放熱効果も十分。この頃BECプロポがでまわり、僕もこの”FOX”がらBECプロポにした。暴走がなくなり安心して走らせれるようになった。

1984年前後・・・”フェアレディZ(カンナムローラ)。走ることに撤したマシン。軽量化は当時では最高レベル。カンナムローラシリーズはいろいろあったが、市販車ボディーはフェアレディZだけだった(と思う)。今では珍しい1/12モデル。

1984年前後・・・”CELICA Gr.B RALLY SPECIAL。このころ田宮でスケール指向が高まり、ラリー仕様のポルシェ959がでた。ポリカーボネート製ボディーとしてはかなりのスケール感があった。その後しばらくしてCELICA Gr.B RALLY SPECIAL”が登場。オイルダンパーのオイルがワンタッチで入れれるなど、画期的な設計があった。僕が一番気に入ったのは、フロントライトが点灯可能だったことだ。現在の田宮をはじめほとんどのメーカーは、フロントライトは点灯不可能だ。対クラッシュということだろうが、フロントライトが点灯不能だと目が死んでいるようでだめだ。ポリカーボネート製ボディーのディーテールがいくらすばらしくてもぼくの興味は半減してしまう。お気に入りの一台。

1985年前後・・・”ミントラスベガス。もともとはインパクタ バハだったが、ロールバーボディーがかっこよかったので、ボディーを載せ変えた。シャーシはミントラスベガスもインパクタ バハも共通だった。シャーシの共有というのは、実車でもよく行われるが、ラジコンでもめずらしいことではなかった。ボディーの載せ変えは、より経済的に新しいキットを手に入れる方法だったのである。京商のサーキットバギーシリーズの延長線上にあるマシン。メカはボックスで守られ、ボディーもロールバーのみという簡素なもにだった。この頃流行のはしごフレームを採用し、駆動の伝達はいまでは珍しい金属製のチェーンだ。チェーンが前輪まで伸びる4躯タイプもあったが、僕は2躯の方がよかった。走りの軽快さとおもしろさでは断然2躯の方が上だと思う。このミントラスベガス”で特記する所はマフラーである。純正のマフラーは、後方排気ではあるが、俵原型のマフラーで、ボディーの最後部でなく、エンジンの横から斜め上方に排気するタイプで、明らかにエンジンオイルがシャーシに当たってしまうような構造であったため、当時マニアックなモデルを造っていたヤンキー製の後方排気マフラーをとりつけた。僕は車は2躯、エンジンなら後方排気、フロント及びリアのランプは点灯可というのをあるべき姿と考えている。当時はリコイルスターターなどというのはなかったので、前述のサリバンスターターが活躍した。OSエンジンは軽快で調子は良かった。このころから僕の好みのエンジンはENYAからOSになる。

1988年前後・・・”マンタレイ。田宮製のバギーだが、今をときめくTA01、TA02、TA03シャーシのルーツともいうべきモデルだ。TA01は”マンタレイ”のシャーシのショートトレッド版だし、TA02もバランスをちょっといじっただけで基本的なレイアウトは変わらない。当時はラリー仕様に凝っていて、何とかバギーのシャーシにオンロードのボディーが乗らないかと考えていた。田宮、京商とも1/10モデルを発売していたが、微妙に縮尺が違い”マンタレイ”のシャーシに合うのは京商の1/10モデルだった。そしてそのなかで気に入ったコルベットのボディーを載せた。この頃のなるとニッカドも7.2Vはあたりまえ、アンペアは1700mAと高性能になっていたので、かなりパワフルな走りが楽しめた。


社会人〜

1989年前後・・・”ポルシェ9591/8ビッグスケールのエンジンカー。3分割ポリカボディーでスケール感は抜群、21エンジンで、パワーも1/10クラスの比ではなかった。この頃からリコイルスターターが出現し、OS21SEーBにオプションのリコイルをつけた。スターターがいらないので、始動の手間が少なく、ありがたかった。後方排気マフラーもよかった。とにかくこれは今でもお気に入りの一台である。

1990年前後・・・”ZR-1,CORVETTE。ボディーが気に入っていたのでかなり改造した。田宮のパーツを多用してフロント、リアのライトを点灯可とし、右折左折時には方向指示機が点滅するようにした。エンジンはリコイルではなく、セルスターターをつけた。しかしこのセルスタータはオーバーチョークしたときに、ギアがプラスチック製のために強度に問題があり、しばらくして外した。RRでオーバーステア気味だったが、結構走らせていて楽しかった。

1990年前後・・・”カルソニックスカイラインGT-R。爆発的人気となったモデルである。僕が買ったのは初期のモデルだったので、まだベルトドライブ仕様だった。したがって駆動効率を高くするため、シャフトドライブコンバージョンキットを買わなければならなかった。(その後しばらくしてシャフトドライブが標準仕様になった。)オンロードボディーだが、シャーシはほとんどSTINGER,MK-2のものだったので、ラリー仕様みたいなものだった。僕にとっては願ったりかなったりで、走行は非常におもしろかった。エンジンも10FP-BKからCZ-Rに替え、走りはなかなかのものだった。もちろんオプションで後方排気マフラーをつけたのはいうまでもない。最近の京商カルソニックスカイラインGT-Rは完全なオンロード仕様になってしまい、あまりおもしろくない。

1990年前後・・・”スポルト。21クラスでは初めてリコイルスターターがついたので買った。しかしこのエンジンは外国製(イタリア?)だったためか耐久性に問題があり、リコイルがすぐにだめになってしまった。その後はスターターでエンジンをかけていたが、ある日走行中にノーコンになってしまい一直線に壁に正面衝突してしまった。中心線のロールバーがなかったせいもあったが、このクラッシュで終わった。もともとリコイルエンジンが目的で買った様なモデルだったので、数万円もだして修理する気にもならずそのままほかってある。

1992年前後・・・”アウデイクアトロ。京商お得意のバギーシャーシのオンロードコンバートモデル。基本的にはインファーノである。エンジンは京商オリジナルの21リコイルだったが、OS21SE-Bのパワーを知ってしまった僕はさっそく21SE-BX(改)を載せ、マフラーはポルシェ959の後方排気型に替えた。しばらく”アウデイクアトロ”で走らせていたが、やはりオフロード仕様か良くなりタイヤ、ダンパーのストロークなどを変更し、ほとんどインファーノにした。インファーノと違うところといえばフロントバンパーと、アウデイから採用されたエンジンの強制冷却ファンぐらいだ。

1994年前後・・・”ニッサンテラノ。僕が知る限りでは、ピーナッツバギー以来のバックができるエンジンカーである。ブリジストンと共同開発のCCVTギアが売りだった。確かにバックはするがニュートラルや減速するとエンジンブレーキがかかってしまい、今まで遠心クラッチに慣れている僕はコントロールしにくかった。また、CCVTがやたら重いため重心が高くなってカーブではすぐ転倒してしまった。OSのマニホールドまでつけて無理やりリア排気に改造したが、操作性はいまいちのマシンだった。

1994年前後・・・”フェラーリテスタロッサ1/24”。一時インドアに凝る。1/24プラモのボディーが乗せれるというので1/24ベンツSLCなんか載せてみたが、耐久性がいまいちで結局ノーマルのフェラーリにした。まずまず満足の車だったが一つ文句があるとすればホイールが自由に選べないことだ。

1995年前後・・・”フェラーリF401/40”。インドアモデルの延長で買ったのだが、その後カルソニックGT-Rが出たためボディーを載せ替えた。40プロシリーズのいいとこはショーケースが充電台になっていて、スケール感も抜群だったところだ。但し付属のプロポはホイラータイプで、スティック派の僕は少々コントロールしにくかった。

1996年・・・”ブリッツスープラ。当時人気絶頂だったTA02シャーシを作ってみたくて買う。田宮の設計らしく完成度は高くあまりいじるところは無い。よくできたマシンだった。

1996年・・・”セリカGTー4。TA02シャーシでオフロードマシンを作ってみたくて買う。ダンパーのストロークとステアリングリンケージをいじってやるだけで基本的にはOKだが、リアのボールデフはオフロードには不向きなのでギアデフに変更した。もちろんタイヤはオフ仕様だ。

1996年・・・”クラッドバスターQD。インドア用。一度QDを試してみたかった。ダンパーをCVAに、ホイールを金メッキに替えたくらいであまりいじれない。QD用のニッカドが、他のラジコンのプロポにもつかえるため、もっていて悪くないモデル。ギア比がかえれるのはよかった。

1996年・・・”ローライドパンプキンQD。スケール感がいいので買う。”クラッドバスターQD”と同じくあまりいじれない。スケールを楽しむのにはいい。

1996年・・・”TGXニスモクラリオンGT-R LM。田宮が満を持して発売したオンロードエンジンカーTGX。その第二弾として発売された。シャーシは基本的には同じで(エンジンのシリンダーヘッドの色だけ違っていた)、ボディーのみが新しかった。田宮のEPを作っていて、GPも出せばいいのにといつも思っていた。期待どうりにメンテナンス性、操作性、耐久性は良かった。エンジンだけはOPS製のものを田宮がチユーンしたかたちであった。完璧に近い設計であまりいじるところは無かったが、一つおもしろくない所は、一応後方排気にはなっていたが、シリコンチユーブでもっていくタイプで、これはだれが見ても排気効率が悪い。後方排気はいいのだが、さらに効率も良くなるように設計してほしかった。 

1996年・・・”フェラーリ250GTO。ノスタルジックカーシリーズの一つ。このシリーズはスケール感も高く気にいっている。メカ、エンジンを組み込みリンケージまであわせたが一度も走らせていない。このまま走らせずに飾っておこうと思っている。

1997年・・・”ホンダCRーV。フロントのライトが点灯することと、ドライブシャフトからデフまでのメカが気に入っている。できればこのメカでオンロードカーを出してほしい。

1997年10月・・・”CASTROL CELICA。これはボディーだけ買った。TA02シャーシはいろいろなボディーが取りつけ可能でわざわざキットを買う必要はない。それになぜか最近の新しいモデルはFFとかベルトドライブ仕様がほとんどで、あまり魅力を感じない。何といってもRR、シャフトドライブの方が面白いと思うのだが・・・。セリカGTー4のボディーを載せ替えたわけだが、個人的には現行のCELICAデザインの方が好きなのだけれども、ラリー仕様という点ではCASTROL CELICAの方が似合っていると思う。

1997年11月・・・”VOLTEC FIGHTER。田宮の最新モデル。ミニ四駆からの橋渡し的存在で、かなり初心者を意識して設計してあった。ねじ類はドライバーを使わなくてもいいように十字レンチで回せるタイプになっている(アップライト、受信機スイッチ以外)し、パーツもかなり少なかった様に思う。サスペンションはないが、デフはついており、シャフトドライブ四輪駆動できちんと基本は押さえてある。細かなところではホイールにあらかじめタイヤがついている、ステッカーに切り込みがいれてある、ステアリングリンケージが固定式であるとかである。ミニ四駆を作れる小学生(或いは幼稚園児)なら、一人でもかなり作れるのではないかと思う。あとボディーはポリカーボネートではないので基本的に塗装の必要はなく、モーターも380タイプモーターで、消費電力が少ないので付属のバッテリーでも一時間ほど走行できた。

1999年10月・・・”MUSTANG Mach1 FORDとあるラジコン雑誌の広告で見つけて購入。もう20年以上も前のオオタキのラジコンモデルだ。20年も前のラジコンモデルが見つかるのもびっくりだが、キットの状態(未開封)で手に入るとは夢にも思わなかった。(実はもう2台オオタキの同じシリーズのキットを別の業者から手に入れたのだが、その二つは何と20年前の定価で手に入れることができた!)20年も前の設計なので現在のキットに比べればかなり心細い設計であるが、なるべく改造しないで忠実に再現した。改造部はスピードコントローラーをアンプ仕様にし、フロントライトとリアライトを点頭可能にした程度で、あとはすべてオリジナル仕様だ。モーターも問題なくまわった。ジュラルミンのシャーシーは、ほどよいサスペンションになり、中空ラバータイヤとあいまって今のラジコンにはない走行フィールをかもし出した。ボディーがプラモデルと同じなのでディーテールは最高だし、単二電池4本なのでそれ程スピードも出ない。これが今のラジコンで使用しているバッテリーとモーターの組み合わせで走らせたら真っ先にボディーがやられるだろう。フロントアップライトはいかにもクラッシュしやすそうな設計で、岐阜市民センターでクラッシュしアップライトが吹っ飛んでリタイアしたのを思いだした。リアの泥よけや、ボディーをとめるピアノ線にも当時のスケール重視の傾向がよく反映されている。今はほとんどすべてがポリカーボネートボディーで、スケール感もなにもあったもんじゃないが、このようなモデルも出して欲しいものだ。高校時代、憧れのキットをまさか今になって作れるとは思いもしなかった。あと二台あるのでゆっくり楽しみながら作ろうと思う。

ここまで読んでくださってどうもありがとうございます。これ以降のモデルについては、ラジコン一覧表の方に載せる予定です。
【2005年5月...記憶違いが数ヶ所あったため改訂しました】

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